舞台「ライチ☆光クラブ」(2012)


こちらの記事を拝見しました。

舞台、ミュージカル、映画になっているこの原作。私は舞台「ライチ☆光クラブ」(2012)について所感を書いてみます。

2012版の脚本・演出は毛皮族江本純子さんでしたが、パンフレットにはこんな言葉があります。

彼らの間で起こったことについて、(中略)学生運動で起こってしまった集団リンチ殺人、異常な世界に陶酔・没頭した子供たちが起こしてきた少年犯罪の数々(中略)など、実社会で生まれてきた異常過ぎる状態を想起して、解析することもできるかもしれません。しかし、そういう社会問題と対峙すること以前に、私がこの原作を読んで彼らに対して抱いた率直な感想があるので、その気持ちを軸に描くことにしました。こいつらアホだな。幼稚だな。バカだな。可哀想だな。彼らの自滅、自爆を、笑ってもやりません。何やってんの?バカなんじゃないの?(中略)ただただ「どうしたの?」と言いたい。

2012版は、光クラブの少年たちを徹底的にバカにした演出でした。少年を神聖視することなく、矮小化、戯画化とも言える態度で描いていく。光クラブだけじゃない、私たちもバカにされた。舞台チラシのキャッチフレーズが「オマエラの大好物・イケメンも多数出演!」だった。毛皮族の女優さんの客席降りで「今日のチケット、イープラスで発売2秒以内に買った人いる?」「あんたヤフオクで買った?」「あたしなんかキャストのみなさんに差し入れ持ってきた」とまくし立てられた。


しかし正直に言うと、バカにするという知的活動はやっぱり面白いです。趣味が悪いと言われればその通りです。
なぜそうなった、私にはわからないよ、バカじゃないのと光クラブが突き放されていくのをじっと見ているしかない、観劇の不安と可笑しさがそこにありました。ライチ☆光クラブなのになぜギャグなんだ、コメディーなんだと揶揄される向きもありますが、私はこの風刺を面白いと思います。
カノンの光クラブへのまなざしも、強烈にバカにしてるそれだった。寝たふりのカノンが、光クラブの一人一人を批評するモノローグ(片目ない人、丸眼鏡、明るいオカマ、色白…)が好きです。お芝居とは言えないほど淡々と響くその声、カノンだけがこの世界で唯一の人間で、それ以外は全員人間未満であるように感じた。

 

ほかに思い出すのは知覚です。DVDには収まらない部分。
スモークを過剰に焚いてるのかわざと匂いを付けてるのか、鼻と口を押さえたいくらい会場が煙たいんですよ。なんじゃこれと思うけど、ふと、ああこれが螢光町の空気かと受け入れる瞬間が来る。そして冒頭、耳を刺すような警笛と共に懐中電灯で客席を照らされて、一瞬自分が光の中にいる感覚とか。匂いも眩みも記録には残らない。

バカにしてるシリーズとして、劇中、テニミュへのおちょくり(オマージュでない、おちょくり)があります。今でこそ2.5次元舞台の発展とともに相対化されていますが、当時テニミュに劇中で言及するなんて、同じネルケプランニングの舞台だとしても相当センセーショナルだったと記憶しています。まだ弱虫ペダルの舞台も初演しかやってない頃で、若手俳優のファンはほぼイコールでテニミュのファンまたは忍ミュのファンっていう時代でした。
しかしテニミュっぽい音、照明の再現はうまかった。照明というか玉城裕規さんが手に持ってる懐中電灯、それで「テニミュっぽさ」が表現できてる不思議。

 

血糊の量が半端じゃなかったのも印象深い。血糊というか赤い放水だった。千秋楽近くなったらマチネの開演から既にキャストの顔や手がうっすら赤くて、待って昨日までの血糊が染み込んでるよwって笑ってました。
のちに誰かが(キスマイの宮田くんだった気がするんだけど違ったらごめんなさい…)「紀伊国屋ホールにシャワーは1ヵ所しかないから女優さん優先」と言っていたと人づたいに聞いて、だからあのときみんな血糊染み込んでたのか…と納得しました。真相は知りません。

 

元祖ゼラである常川さんの、当時のコメントも印象に残っています。


常川博行@『偏執狂短編集Ⅲ』 on Twitter: "老けたゼラの学生服姿。 どうだい、がっかりだろう。 木村了のゼラで、楽しんでな。 真面目な、少年少女は。 東京グランギニョルは、紀伊國屋なんかで、絶対しない。 http://t.co/gqH41Nzz"


常川博行@『偏執狂短編集Ⅲ』 on Twitter: "木村了のゼラは、綺麗だ。悪くない。 でも、ディズニー映画になっちゃつたグリム童話みたいだな。 紀伊國屋を破壊できるのか、飼いならされるのか。飼いならされたゼラで、木村君は、良いのかな。"


もしゼラがグランギニョルを生き延びて、常川寛之として年を取って、自分より若い男たちがライチ☆光クラブをやるって聞いたらまさにこう言うだろうな…常川さんは本物のゼラなんだな…って感激しました。(お、2.5次元っぽい。)
飴屋さんは劇場に観に来ていらっしゃいました。只者ではないオーラがありました。

 

翌年、再演された2013版は全体的に洗練されて見やすくなったと思います。アイアシアターという劇場の影響も大きいだろうけど抜け感が生まれてキャッチーになった。それが良かったとは言えないけど。2013のカノンは優しくて、ライチと心が通ってたので逆にびっくりしました。
2013の公演パンフレットのデザイン、すごくいいです。遠くで見ると腸、近くで見ると花びら。遠くで見たり近くで見たりしてると、背景だと思っていた黒い部分に潜んでいるキャストの写真と目が合ってひやっとします。

2年通しての廣瀬さんのカネダの見所は、鯖折りになるところはもちろんなんですが、その前の薬を打たれて声が出せなくてヒューヒューゼーゼー言うところです。いいぞ。

 

しかしこの記事を書くために久しぶりに公演DVDを観たのですが、暗くて深いステージなのに光が当たっているところしか見えないスリルも、ちょっとの沈黙もなく肉声で叩き込まれる台詞に必死に耳を向けるアミューズメントも、全然伝わってこなかった…。映像で観ても真価が伝わらない作品でした。