ミュージカル『手紙』

わたくし、先日、病院の、待合室におりまして、呼ばれましたので、立ち上がったところ、待合室の、イスの下に、カバンと、脱いだコートを置いている自分に、気が付きました。
劇場での振る舞いが日常に及んでいる…

「誰も悪くないのに」

なんて悲劇はよくありますが、このミュージカル『手紙』では、誰も完璧には善くなくて、それぞれ至らない所があって、解決はしなくても人生は過ぎていく感じが、独特でした。

祐輔という役は、「犯罪加害者家族になった主人公(直貴)を10年以上付かず離れず見守り、10年の間に一緒にバンドでメジャーデビューしかけて、直貴の家族に服役中の人がいるせいでデビューは流れてバンドは結局解散したけど、それでも友達でいつづける」なんて優しさのかたまりみたいな人で。
それでも決してただの正義漢には見えないお芝居だったのがとても良かったし、こんな表現があるんだなあ!と思わされました。
祐輔が「正義」になってしまうと、直貴は「可哀想」になってしまうから。そうはならずに、二人はずっと対等でした。

デビュー前にレコード会社の素行調査があって、「直貴が抜けるならデビューできる」という話になってしまい、直貴にバンドを辞めるように頼むメンバーに祐輔が激怒するシーン。
直貴が祐輔に向かって「俺か音楽か選ばないとならなくて、それで音楽を選んだあいつらが悪いわけじゃない」「祐輔まで音楽を辞めないで欲しい」と歌います。
二人は対等で同じ夢を見てるのに、それを一緒に叶えられないのが、悲しかったです。私はこのシーンが劇中で一番悲しかったな…。
祐輔がこのチャンスを見送ってもいいと思えるのは、彼の家庭が裕福で生活に困っていないから、というエピソードもあって、つくづく生まれに翻弄される、人の世です…。

直貴はその後、家電量販店に就職して

由実子という女性と結婚して娘が産まれて、サラリーマンの人生を歩んでいくことになります。
一方の祐輔は音楽を続けてはいるけれど、なかなか売れずに、自分でも「貧乏なのは構わないけど、親を泣かせるのがつらい」と言うような状態。
それでも祐輔はお菓子を持って直貴を訪ねたり、交流は続いています。
デビューするしないであんなに揉めて、音楽に関しては袂を分かってしまって、社会的な立場も随分変わったのに、まだ友達でい続けてくれる祐輔すごいね!?と心から思いました。
これは原作の小説で読んだときはあまり感じていなかったんですが、舞台上の廣瀬さんの身体で見ると分かりました。
実際の人間でやるとここにボリュームが出るのか…みたいな思わぬ発展がありますね…。それはいわゆる2.5次元舞台じゃなくても。

そんな二人だけれど、親友!みたいな感じかといえば全然違いました。二人はずっと友達でいたけど、お互いに明け渡してない心の部分があるなと、色んな所で思わされました。
祐輔が「心の奥をさらけ出せる人に出会いたい」と、まっすぐな声で歌うところとか、
お兄さんがいる刑務所の慰問コンサートに誘われた直貴の、自分の肩に祐輔が手を置いたときの表情とか、
ぜ、全然打ち解けてないじゃん…直貴は色んなものを諦めたままじゃん…とすら思わされて、でも現実に「友達」ってそんな感じかもしれませんね。

ところで、原作の由実子の、直貴の働くバーで違う男の人に口説かれて一服盛られそうになるエピソードとか、逆玉の輿に乗りたい直貴が朝美(由実子の前に付き合ってたお金持ちのおうちのお嬢様)を妊娠させようとして気付いた朝美が激怒するエピソードとか、女性陣が生き生きしてて結構好きだったんですが、ミュージカル版ではその辺がすっぱりなくなって、由実子も朝美も深みのない印象なのが残念でした…。まあ、一冊の小説を舞台にするには、削らなきゃいけない所がたくさん出てくるのは仕方ないですね。

あー、本当に指先まで綺麗な人だなあと思ったのは

直貴が大勢に取り囲まれて責め立てるような歌を浴びるときに、ひとり踊らず立ちすくむ祐輔の、憐れみではなく、怯えと怒りに満ちた表情とか、
曲中にみんなが手に持った手紙を破り捨てる振付のときに、祐輔だけは破らずにいる(祐輔は直貴との関係を断たずにいることの表現?)演出とか、そういうところです。

他にも面白いなーと思ったのは、囚人役のときは歩き方も囚人になっているところとか。角を直角に曲がっている!
転換は人力でセットを動かしていて、スタッフの方だけでなくキャストさんもバーを動かしたり留め具をカチャカチャしたり。
そしてバンドマンの役なのでギターを弾く演技もあって、アルペジオしてる~!!って謎の興奮がありました…。(お手元にミュージカルヘタリアの3枚組ブロマイドをお持ちの方は、この時点でのギターコードの押さえ方をご確認ください。)

東京公演と大阪公演

を観ました。東京公演(新国立劇場小劇場)はとても演出が凝ってました。
まず、1階ロビーから劇場に入るとそこがステージ。びっくり。
業務用のカゴ台車みたいな、そっけない枠組みだけの直方体がいくつもあって、その間を縫って客席に向かう。足元を見ればバミリがたくさん。
バミリに書かれているのはほとんど数字だけど、中には「仏ダン」とかもある…(上演中、高齢の女性の家のシーンで仏壇のセットが登場して「あっ!仏ダン!」と思いました)。
台車のそれぞれに小さめのコンテナ等が置かれていて、その中にはあまりよく見えないけれどなんだか色々と入っていて、これをどう使うんだろうなと思うのも面白かったです。
そのステージ部分から同じレベルで一列目の客席が始まっていて、前方の席で観ると「今そこで起こっていること」を見ている感覚がありました。

大阪公演(枚方市市民会館)は、いわゆる劇場らしい劇場で、東京公演の凝った演出より見やすい!と正直思いました。特に私みたいな、「絶対にこの人の一挙手一投足を見逃したくない」って見方をしている人にとっては…。
東京では、二重唱や三重唱になると歌詞が聞き取りにくかったのですが、大阪では分かった。設備のせいなのかな…。
あと、東京では、最後に直貴が2階のバルコニーからロビーへ出て行くという演出で、それが直感的に「主人公が物語から退場したから終演だ」という感じでとても良かったので、違う会場ではどう表現するのかと思ったのですが、
大阪では最後に、何ていえば良いんだろう、壁?それまで舞台の背景だった、板?がスッと下がって、劇場の構造、コンクリートがあらわになって、これも直感的に「舞台が解体したから終演だ」と分かりました。

それにしても「手紙」というと、私はやはりファンレターの事を考えてしまうのですが、原作の方にはそういう意味でぐさりとくる言葉がたくさんありましたよ。

祐輔は、原作では

「サングラスを外した顔は、美しく整っていた」という表現こそあれ、二枚目キャラという感じではないので、かっこつけなくていい在り方なのがなんだか珍しく感じました。でもかっこいいんですけどね…
開演直後に、客電が落ち切らない状態で客席に登場するんですが、そのときの白い額が本当に綺麗で、毎回「かっ…こいいー……」ってなってました…笑
次は最っ高にかっこつけなきゃいけないであろう、舞台『刀剣乱舞』で、こちらも楽しみでございます!